人生は小さなことから大きなことまで、日々選択の繰り返し。過去のことを引きずったり、未来のことを考えすぎてしまったり、失敗や不安を少しでも解消したくて守りにはいりたくなってしまいます。でも、少しでも不安要素を減らすことはできないか?ちょっとした心がけで変わることはないかな?
断捨離から学んだ「今に目を向ける」こと
今年の夏は断捨離に力を入れています。同時にメルカリを利用して不用品を、今必要としている人へと譲っています。
断捨離をしていると必ず出て来る感情があります。
- いつか使うかも
- いつか着るかも
- まだそんなに着てないし
当たり前のように出てきます。そして、その「いつか」が来ないこともなんとなくわかっている。損得勘定で無駄なお買い物をしたことを認められないこともわかっている。もうこれは思考の癖!思考はいつでも執着して、こだわってしまう。
でも、思い切って手放すことを決めたらそれまで。今までメルカリに出して手を離れていったものたちを振り返っても「置いおけばよかったなぁ」というものは、ひとつもない。
使わないのに持っている、捨てたいのに捨てきれない。そんな中途半端な気持ちでいるよりも、よっぽどてばなした今のほうがものは減ったけど豊かな気分!今の自分に必要かどうか。この観点に立てたら判断しやすい。もし、また必要だと感じたときには、そのときに最善のものを用意すればいい。これは自分を信頼するにもつながります。
思考の中にあるものも意識してみる
少し前に「東京タラレバ娘」というドラマが流行りましたね。しっかりとは観ていなかったけど、アラサー女子が飲み屋で「もっと美人だったら」「あのときああしれいれば」と言いながら飲んでいるシーンを目にしました。そのシーンは本当にあるある!わたしも20代後半くらいに同じような会話を友達としていました。
今だと「新しい家に引っ越したら」「子供ができたら」とかライフステージが変わったけど、相変わらず「たられば」はなくならない。
過去に対する思いには、言い訳が。
未来に対する思いには 、期待と不安が。
自分が頭の中でなにをどんな風に考えているのか、ちょっとだけ意識してみる。ものを増やしたくないなと思うのは「将来引っ越すときに身軽でいたい」という思いがあるからだし、お金の管理をしなきゃと思うのは「将来子供ができたときに、少しでもゆとりをもっていたい」という思いがあるから。
いちいち自分が思うことに「なぜそう思うのか」まで掘り下げることは少ないからこそ、少しだけ意識してみる。
ものを増やしたくない、お金の管理をしなきゃ・・・これだけだと漠然としていて、そりゃ不安にもなります(笑)
「たられば」と「かも」 とうまく付き合う
人間ですからわからないことは不安になります。いくらでも「たられば」と「かも」ということが湧いてきます。だから、意識してちょっと踏み込んで見る。そして妥協点というか、自分で「今はこれがいい!これでいい!」というところを見つけて折り合いをつけていく。未来に対してはこれでなんとかなりそう。
過去のことに対しては「終わったことだ!以上!!」で済ます!過去のことはどう頑張ったって、出来事自体は変えられない。でも、どう解釈するかは今の自分次第でいかようにも変えられる。
「たられば」が出てきたら「そんな可能性もあったよね!あのときに気づけなかったことに気づけてよかった!以上!」でいいんじゃないかな。
漠然とした思いを、どれだけ建設的に捉えていけるか。どれだけ自分の本音に気づけるか。これも訓練が必要そうです。